よく目標はあったほうがいいとか、
夢を持てだの言う人がいるけど
あれを聞くと戯言に思えてしまう。
まぁ、崇高な夢や目標がある人は
それを追いかければいいし、
叶えたければどうぞ叶えてくれ、だ。
ただ、無理に持つ必要もないよって
ことをここでは言いたい。
自分の周りではビジネスで成功して
金銭的にも豊かで、
裕福な暮らしをしている人たちがいる。
そのなかには、金を稼いでいても
足りずに「もっと!もっと!」
と追いかける人もいる。
なんせ、金はあればあるほど
足りなくなる。
もちろん、現代社会においては
資本主義だから幾ばくかの金がなきゃ
やっていけないのはわかる。
だが不必要に持ち過ぎる必要もない。
それは稼ぐことを諦めたり、
ビジネスをそこそこで終わらせろ!
という意味ではないよ。
金をすげー稼いで、
派手なデカい車を転がして、
いい家に暮らしてても
寂しそうな人を見たからそう思うのだ。
不幸そうなオーラを放ってたり、
不幸そうなツラをしてる人を見かけたからね。
それなりに稼いでいい暮らしをしても
「自分だけ」が幸せになるような
夢を叶えても最後は孤独が待っていて、
晩年を寂しく不幸に過ごすハメになると。
名前は伏せておくが、
敬愛する作家がお悩み相談で
読者にそう答えるのを見かけて
自分も激しく共感したから
この話をしている。
要は、金ばかりを追いかけて
自分だけが幸せになるような夢?
を叶えたところで
誰も幸せにはならないからだ。
残るのは寂しさだけ。
それを埋めるためにもっと稼いで、
さらに金やモノで埋めようとする。
その空いた穴が埋まることは一生ない。
なぜなら、モノは人を幸せにはしないからだ。
アトラクションと同じで、
消費してしばらくしたら飽きてしまい、
そこには何も残らない。
金の話ばかりをすると品性に欠けるから
正直あまり好きではないが、
最終的に心の穴を埋めるのは
思いなんだよな。
思いってのは自分の感情や、
一緒に過ごす家族や仲間の思いだとか、
そういった時間のなかで感じるものが
自分の寂しさや穴を埋めてくれる。
それは金やモノをどれだけ突っ込んでも
埋まることはない。
心はものじゃないから、
感情や情緒的なものが育まれないと
その穴が埋まることはないんだよな。
人間のキャパは金や暮らしぶりでは
決まらないからね。
その人の生きるスタンスや
目指す方向性でそのスケール感は決まる。
幸せってなんなんだろう。
あなたの幸せとはなんなのか。
派手な暮らしや所有するモノ、
金銭をチラつかすことなのか。
下品な見栄だとか、
過剰な自己愛に満ちた承認欲求は
人を金へと狂わせる。
正直言うと、
自分はもうモノとか金には全然興味がない。
今より稼いでも質素にやっていくし、
生活レベルを変える気もない。
生きていくぶんに困らないぐらいあれば
余裕でやっていけるからね。
貧乏くさいケチな人間は嫌いだけど、
かと言って見栄を張る連中はもっと嫌いだ。
間違った夢や目標を追いかけると、
人は不幸な幸せを掴んでしまう。
そしてそれを力任せに掴んでしまうと
中々手放すことができない。
だから身動きが取れなくなり、
もっと稼いで金を追いかける。
人をそうやって病んでいく。
周りに教えてくれる人がいないと、
いびつなカタチをした欲求が膨れ上がり
最後は爆発する。
あなたが必死になって
追いかけてるものは本当にほしいものか?
あなたが必死になって
掴んでいるものは本当に必要なものか?
そんなガメツイ態度を撒き散らしてまで
みっともない行為に走るのは本望か?
一度、立ち止まって考えることも
人生には必要なのでは。
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