笹崎武蔵

実はコーチ歴7年。無資格、無所属、無集客の三拍子理論を初めて打ち出したコーチングしないをコーチ。売れないコーチに売れる秘密も教えるコーチングアドバイザー。生き方、遊び方、稼ぎ方、この辺りが得意分野。

記事一覧(505)

最後は自分一人でやるしかない

「人間は一人では生きていけない」なんてよく聞くけど、なんなんだろうな?あれって。俺も人間のことはよくわからないし、人とのつながりがどうのこうのっていうのも正直ウンザリしている。もちろん、仲間は大切だし、知り合った人たちを蔑ろにするって意味で言ってるんじゃない。そうじゃなくて、人は最終的には自分一人で後始末を付けなきゃならない。だって、そうでしょ?自分の人生の責任は、他人が負えるわけじゃないし、テメーのケツはテメーで拭くしかない。あ、言葉遣いが悪いな。テメーってのは、日本語では「手前」に由来してるから、手前(テメー)ってのは「自分」って意味ね。話を戻すが、人ってのは放っておくとあっという間に疎遠になる。まぁ、これは俺の生き方の問題だろうが所詮、人間は自分が一番可愛い生き物だ。「この人のために」って生きてる人は自己満を通り過ぎて、人生でなすべきことが終わってるから人のために生きられる。でも、みんながみんな、そんな生き方ができるわけではない。よほど強い人や、余裕のある人たちはそれができるけど、大半の人はそうじゃないだろう。いろんな問題が降り掛かってくる日々にウンザリし、ときに発狂し、気が狂う寸前までストレスが溜まる。そんなとき「人のために」とかアンタは言えるほど余裕があるのかい?これにYESと答えられる人はかなり強靭で、タフなメンタルをお持ちだ。みんな自分のために生きてるし、自分をおざなりしたらそのツケは必ず返ってくる。ストレスという代償でね。随分と高く付くよ。当たり前の話だけど、人は何もしてくれない。最後は自分でやるしかないんだよ、結局は。人生というものはこれでもかってぐらい、孤独と怒りと不安をふつけてくる。そんなとき、アンタは冷静さを保てるかい?綺麗に生きられる人間ばかりじゃないんだよ、現実は。

幸せを掴んで「不幸」になる人たち

よく目標はあったほうがいいとか、夢を持てだの言う人がいるけどあれを聞くと戯言に思えてしまう。まぁ、崇高な夢や目標がある人はそれを追いかければいいし、叶えたければどうぞ叶えてくれ、だ。ただ、無理に持つ必要もないよってことをここでは言いたい。自分の周りではビジネスで成功して金銭的にも豊かで、裕福な暮らしをしている人たちがいる。そのなかには、金を稼いでいても足りずに「もっと!もっと!」と追いかける人もいる。なんせ、金はあればあるほど足りなくなる。もちろん、現代社会においては資本主義だから幾ばくかの金がなきゃやっていけないのはわかる。だが不必要に持ち過ぎる必要もない。それは稼ぐことを諦めたり、ビジネスをそこそこで終わらせろ!という意味ではないよ。金をすげー稼いで、派手なデカい車を転がして、いい家に暮らしてても寂しそうな人を見たからそう思うのだ。不幸そうなオーラを放ってたり、不幸そうなツラをしてる人を見かけたからね。それなりに稼いでいい暮らしをしても「自分だけ」が幸せになるような夢を叶えても最後は孤独が待っていて、晩年を寂しく不幸に過ごすハメになると。名前は伏せておくが、敬愛する作家がお悩み相談で読者にそう答えるのを見かけて自分も激しく共感したからこの話をしている。要は、金ばかりを追いかけて自分だけが幸せになるような夢?を叶えたところで誰も幸せにはならないからだ。残るのは寂しさだけ。それを埋めるためにもっと稼いで、さらに金やモノで埋めようとする。その空いた穴が埋まることは一生ない。なぜなら、モノは人を幸せにはしないからだ。アトラクションと同じで、消費してしばらくしたら飽きてしまい、そこには何も残らない。金の話ばかりをすると品性に欠けるから正直あまり好きではないが、最終的に心の穴を埋めるのは思いなんだよな。思いってのは自分の感情や、一緒に過ごす家族や仲間の思いだとか、そういった時間のなかで感じるものが自分の寂しさや穴を埋めてくれる。それは金やモノをどれだけ突っ込んでも埋まることはない。心はものじゃないから、感情や情緒的なものが育まれないとその穴が埋まることはないんだよな。人間のキャパは金や暮らしぶりでは決まらないからね。その人の生きるスタンスや目指す方向性でそのスケール感は決まる。幸せってなんなんだろう。あなたの幸せとはなんなのか。派手な暮らしや所有するモノ、金銭をチラつかすことなのか。下品な見栄だとか、過剰な自己愛に満ちた承認欲求は人を金へと狂わせる。正直言うと、自分はもうモノとか金には全然興味がない。今より稼いでも質素にやっていくし、生活レベルを変える気もない。生きていくぶんに困らないぐらいあれば余裕でやっていけるからね。貧乏くさいケチな人間は嫌いだけど、かと言って見栄を張る連中はもっと嫌いだ。間違った夢や目標を追いかけると、人は不幸な幸せを掴んでしまう。そしてそれを力任せに掴んでしまうと中々手放すことができない。だから身動きが取れなくなり、もっと稼いで金を追いかける。人をそうやって病んでいく。周りに教えてくれる人がいないと、いびつなカタチをした欲求が膨れ上がり最後は爆発する。あなたが必死になって追いかけてるものは本当にほしいものか?あなたが必死になって掴んでいるものは本当に必要なものか?そんなガメツイ態度を撒き散らしてまでみっともない行為に走るのは本望か?一度、立ち止まって考えることも人生には必要なのでは。

「あなたの為を思って」は壮大なオナニー

世の中にはよくいるよね、「あなたの為を思って」とか言いながら本人のいないところで陰口を叩いてあちこち吹聴している間抜けが。ときにそれは、毒親だったり、身内だったり、友達だったり、パートナーだったり、、、身近であればあるほど、悪気なく言ってくるからタチがわるい。「あなたの為を思って」って、変な言葉だよな。そんなに思ってくれるならさ、放っておいてくれよって思うもんな。「あなたの為を思って」の次には口を開いてあーだ、こーだ、マシンガンのように話す。ちょっと黙ってればいいのに。「あなたの為を思って」は免罪符で、それをダシにオナニーしてんだよ、そいつは。そんなにこちらのことを四六時中考えてくれるのなら、相手のことを思い、そっと見守るのが良き友ではなかろうか。「あなたの為を思って」「わたしにオナニーをさせてくれ!」って方々で叫んでることに本人は気付かないからイカれてる。ただのど変態で、変人だよな。「あなたの為を思って!」その掛け声と共に盛大なオナニーを公共の場で繰り返し行う。まぁ、やってることはこれと同等レベルだ。そこまでいくと病気だもんな。そうやって足を引っ張りまくって、、、自分と同じところに相手を引き下げてるつもりなんだろうけど、そもそもレベルが違うからね。やってることの次元がね。だから低い方は永遠に追い付かないし、人を引き下げようとしているレベルの低い自分にいつ気が付くのか。それが本人にとっては課題であるが、盲目的にストーキング行為を繰り返してるから周りが見えてない。やってることが陰湿なんだよ。根暗でネガティブで、いつも恨みつらみで人を蔑んで、全体的に覇気がない。そんなヤツのところに幸福が訪れるのか?幸せそうな明るい人を見て、その人の持ってるものを羨んで自分にないものばかりをねだる。こういう人生が一番くだらない。ガキじゃあるまいし、30も過ぎていい大人が嫉妬だの妬みだので承認欲求を拗らせると悲惨だよね。まぁ、俺はそんな陰湿なオナニー野郎とは人生で接点がないから良いんだけどさ。ただ、大事な知人や仲間がこういうバカに足を引っ張られるのは耐えられんな。そういうのは部屋のすみっちょで一人でやっとけよ。ほんとに。あなたの為を思うなら部屋で一人でやってくれ、頼むから。

インチキ預言者おばさんに気を付けろ

世の中には上司や親になってほしくない存在がいる。いや、なってはいけない。だな。それが今回のメインテーマである、預言者おばさんだ。さて、預言者おばさんとはどこにでも生息する、、、例えば、あなたの職場や実家、一歩外に出れば出くわすアイツだ。①職場にいるパターンの預言者おばさん私「今日大変やったんですよ」お「な、そうやろ」お「なんでもかんでも自分で出来るなんて言うてしまうとな、自分の首を絞めるだけなんや」私「はぁ…。」お「笑い事とちゃうでな。もっと酷くなるでなぁ!これでアンタのところにお客さん付いてみ?発狂して大変なことになるでなぁ!」②どこの家庭にでもいる預言者おばさん親「才能もないのにな、漫画家とかスポーツ選手とか訳のわからんこと言っとらんと、ちゃんと学校卒業せなアカンで!」私「はぁ…。」親「ちゃんと勉強して学校出んと、高い給料が貰えなくて将来大変なことになるでなぁ!」親「お母さんみたいになりたくないやろ!?だったらちゃんと勉強せな、アカンで!」まぁ、こういったインチキ預言者はどこの職場、会社、家庭にでもいるよ。俺もそんなババアどもに囲まれてたけど、全員ぶった切って絶縁したからね。人生の登場人物として現れたらそれこそアカンでな(笑)みんなの周りにもこういうインチキ預言者おばさんいない?あらぬ未来を想定して、非常にネガティブな予言をしつつ、その予言になぜか巻き込んでくる。あのさ、ネガティブ思考で違和感を察知する動物的な勘は大事だよ。俺がよく使う直感とか本能的なやつね。それならいいけど、自分の人生がネガティブだからといってそこに人を巻き込んだらダメだよな。ってか、当事者だけで勝手にやってろよ。一々人を巻き込むんじゃねーよ、ボケ。こんな人がいたら皆さんもお気を付けて。

優男のダメっぷりについて

先日、知人からある職場に新人の社員が入ったと聞いた。曰く、初日に仕事があまりにも出来ず、自分の不甲斐なさから、泣きながら車を運転して帰ったとのこと。仮に、その優男風の新入社員をA君としよう。A君は人柄も良く、誠実で、真面目で、誰からも好かれる人物らしい。ただ、俺は聞いてて色々引っかかった。誰からも好かれるということは、いわゆる「イイヒト」なんだろう。でも俺からすれば、「イイヒト」とはどうでもいい人と解釈している。つまり、誰から見ても当たり障りのない、八方美人の優男ってなわけだ。本人に悪気はないのだろうが、心の奥底に「良い人でありたい」という思いから、そのような人格を形成しているのだろうと思った。つまり、A君の本来の性格は違うんだな。世間ヅラを気にしながらつくった人格など、奥には抑圧した人格が大体隠れてるからね。「イイヒト」の対極にあるのは、自由奔放で自分勝手なヤツだ。わかりやすく言えば、この記事を書いてる俺自身がそれに近い。本来のA君の素の状態というか、、、出したい人格はそれなんだけど、仕事柄、新入社員だから体裁を気にして建前で塗り固めたらいつの間にか「イイヒト」みたいな人格を形成してたと。まぁ、ある種の自己防衛本能だね。出したい自分を出したら嫌われるからそれが怖いし、周りがどう反応するのか?なんて考えたら耐えられない。そうすると今回のように人格の抑圧で対極にある「イイヒト」を演じてしまう。そういう人が大体ローランドなんかの本を有り難がって読んだりする(笑)一種の憧れというか、本来はそういう人格を内に秘めているから本当は出したいのだろう。(誰も止めてるわけじゃないのに…)まぁ、A君は実際に良い人なんだろうけど、初日の仕事帰りに泣くということは相当自分を抑えて、感情を抑圧しないとそうはならないからね。逆に言えば、抑え込んだものが違う形になって噴き出したとも言える。たまに事件なんかで、凄く良い人そうに見える人物が殺人事件や通り魔を起こしてしまうのはまさにそれに近いのではなかろうか。まぁ、話は飛躍し過ぎたが、社会経験も浅く、人間関係も希薄なまま大人になると本来の自分の出し方みたいなものがわからなくなるらしい。要するに、周りに合わせ過ぎるとイイヒトでありたい、嫌われたくない、という思いから本来の自分を隠してしまう。そうすると抑え込んだ人格の出し方がわからず、自分を見失う。それともう一点だけ。仕事の初日に思うようにいかず、帰りの車でA君が泣いた件に関しては、「自分はできる!」という過剰な期待から現実を見せつけられてそのギャップに苦しんで泣いたのだろう。「自分はできる!」なんてのは自信でもなんでもなく、俺からすれば一種の囚われに過ぎない。心が囚われている人は、視野も狭く、周りが見えないからミスもするし、身体も硬くなる。そんな状態でパフォーマンスを発揮するのはプロのアスリートでも無理だろう。心構えとしては、「自分はできる!」←→「俺はまだまだ!」この2つの中間でいるのが望ましい。中立って言えばおわかりいただけるだろうか。無意識でフラットな状態をキープできれば心は柔軟になるから身体も強ばらない。その状態なら思い通りに動けるし、何かあってもその場、その場で柔軟な対処ができる。仕事とは元来、目の前のことをどう捌いてどう処していくか?だと思うから。身体で仕事を覚えるのはもちろん、それ以前に心構えからフラットな方に整えておくのが肝心だろう。これは業界業種問わずだ。話が長くなったが、優男なんてのはやはり舐められるだけだから個性全開、自分全開で生きるのが一番いい。俺はそう思って毎日生きてます。

イヤなことを言われた時に読むコラム

タイトルにあるとおり、イヤなことを言われて悩む人がいる。そもそも考えてみてほしいのが、イヤなことって受け取り手の問題では?と思った。だって、ここ数年、自分は「イヤなこと」など人から言われた記憶がないからだ。なんだろう、イヤなことって。いや、たしかに言うヤツもいるし、そういうヤツはタチが悪い。だが、言われる方も問題だし、相手に言わせてしまっている時点で「言われた」と思い込んでる方に問題があるように思う。そんなこと言わせなきゃいいし、言われるような関係性を壊せばいい。どうやって?関係をぶった切るか、キレるかすれば相手は二度と言ってこない。言われる方が弱みを見せたり、心に隙があるとそこにつけ込んでくる。だから、イヤなことを言われたら「イヤだ」とハッキリ伝えるのがいい。それでもイヤなことを言ってくるヤツはクズだから放っておけ。解決策をまとめておくと、言われたら関係をぶった切る、あるいはキレて言い返す。あとは、フル無視して気にしない。それでもまだ気になるようなら、それは相手ではなくあなたの問題だろう。自分側から変わることで相手に変化を求める必要がなくなるので、そうしたらその「イヤなこと」だかを言われなくなるだろう。言われたとしても本人が「言われてない」って受け取ればそれが一番最強である。まぁ、俺なら言い返すし、ウザいと思えばぶった切るが。ってか、こんな人間だからそういう人は周りに寄り付かないし、一人もいない。参考になるかはわからないけど、「イヤなことを言われた時に読むコラム」としてこの記事は置いておくので、煮るなり、焼くなり、お好きにどうぞ。ああ、そうそう、言い忘れたけど、あなたが相手に対してイヤなことを言わないように気を付けるのも大事だよ。

「執着」という名の依存症

世の中では自分を信じることが良いことだと言われている。だが、自分を過信するあまりそれが己への執着心を生み、果ては、依存することになる。その依存する対象は様々だが…金に依存する、物に依存する、愛に依存する、権利に依存する、権力に依存する、立場に依存する、やれギャンブルだの、アルコールだの、ドラッグだの色々あるだろう。執着する人は間違った方向へ進み、依存は人の歩みを狂わせる。何かを信じるのは自由だが、やはり信じることに重きを置くと執着→依存の流れになる。もはや身軽でなくなった連中は、往々にして柔軟性を失い、判断を誤る。「これだけ頑張ってきたんだから」「ここでやめたら努力が水の泡になる」「何事も粘り強く、辛抱強くやるのがいい」こういう囚われに陥る人間は非常に脆く、危うい。粘り強いことなんて執着心を生むだけだから足かせでしかない。それなのに教育では、努力、根性、忍耐、辛抱、粘り強く、みたいなことを植え付ける。人生において大切なのは、潔さ、諦め、この2つなんじゃないかな。過去の事例で恐縮だけど、自分の場合、利益の出ているビジネスを2つ捨てたことがある。それは世間で言うところの「損切り」みたいなカッコイイものではない。ただ単に、生活が安定し出したらつまらなくなって捨てただけ。それ以外に理由はなく、ビジネスの目的が金じゃないことに気が付いたから2つとも捨てた。通常であれば利益の出ているビジネスを2つも捨てるなんて世間的にはあり得ないし、普通なら取っておくだろう。だが、自分の場合は人生の足かせになる、あるいは重荷になるようなものはたとえ、金になろうが要らない。そうやって損得勘定から解放されることで人間は精神的な自由を獲得していくのだと思う。それでも金が欲しい人は稼げばいい。これもやはり金やビジネスへの執着心や依存心がなかったからこそ捨てられたのだなと。ちょっとでも「違う」と本能が訴えかけてきたら捨てるのが自然の摂理。自然は循環するのが当たり前だからね。違和感をそのままに損得勘定だけで生きれば人は必ずしっぺ返しを喰らう。いま、世の中で戦争や差別が起きるのは一つのことを信じ過ぎた成れの果てだろう。何かを信じるのは自由だが、それが崇高なものだと錯覚するとそれ以外を排除しようとするのが人間。自分の価値観と相手の価値観が違うとそれをコントロールしようとしたり、なぜか、同じに統一させようとする。これが個人レベルならまだいいが、国レベルになると戦争にまで発展する。結局は、個人の弱さがそのまま国を通して反映されただけのこと。現代はまさに、一つのものだけを信じることの危うさ、これらを体現しているのではないかと思う。それよりも、一つのことを信じるより、潔く捨てられる身軽さ、土壇場で諦めることができる柔軟性、こういうものが現代人には必要ではと思う。文明が発達するとともに、人は得ようとし過ぎてすべてをプラスにしようとする。そろそろ引き算で、マイナス、マイナスと、少し過去に戻ってもいいのではと思った。過去に戻るってのは「あのときが良かった」みたいな依存的な話じゃないよ。いい意味で戻るってことだ。旧石器時代ぐらいまで遡ったら面白いのにな。

若い人が不自由になりやすい理由

よく、昭和生まれのオッサンたちは頑固だの、融通が利かないだの、その考え方が不自由を生む!なんて言われたりする。でも、俺からすれば、おい、ちょっと待ってくれよと思う。たまに20代ぐらいの若い女の子なんかと関わる機会があって思うことがある。若い人のほうが頑固じゃないか?って思うことが多いんだな。なんかよくわからないけどこだわりが強く、クソの価値にもならないようなものを抱え込んで生きている。その結果、「あれば嫌い!これは無理!」みたいな融通の利かないわがまま野郎になる。そのわがままを受け入れてくれる先輩たちがいるからこそ、その人たちはわがままを言える。じゃあ、受け入れてくれる人がいなかったら超不自由で、ただの独りよがりになる。そういうことにも気付かず、目の前のことしか見えてないからつまらない固定観念に縛られる。人間の生き方や考え方はそりゃ、固定されてるほうが楽だからね。でもそれだと心も柔軟性を失い、成長する機会を逃すハメになる。心に柔軟性がないということは受け入れられるものが少なく、狭いアイデンティティに縛られるため自分を固定化してしまう。アイデンティティの固定化=一つのキャラクターに縛られる。だからキャパの狭い人間になり、思い通りにいかなくなると傍若無人にわがままを発揮する。若い人が頑固になりがちなのはそういうところからくる。狭い世界のなかで生き、それがすべてだと思うからいろんなものを抱え込もうとする。要するに損得勘定でしかものを見ていない。「こんな自分を出すと嫌われる」「こんなダサい真似はできない」「こんなのは自分らしくない」みたいなことにいつも囚われ、自分が得する方、より多く利益が得られる方しか選ぼうとしない。これが柔軟性を欠く決定打となり、成長しない理由につながる。だから成人過ぎてもやたらと子どもっぽくいつまでもわがままで垢抜けない。実は、世の中や環境が不自由なのではなく己が不自由を招いてるだけなんだよな。その環境に適応すればいいものを、本能に蓋をして、欲望のままに生きようとするから衝突する。ほらね、ちゃんと不自由になる理由がそこにあるでしょ?そんな一円にもならないものはとっとと捨てちまえ。抱え込んでもなんの価値にもならないぞ。

能力開花の技法

気が付けば、コーチングビジネスを開業してもう何年経ったのか…。はじめの頃は食えてない時期が続き、自転車操業どころか大赤字でそれを物販で穴埋めしてたな…今思えば完全に笑い話である。でもこうして続けてこられたのも稼げるとか、これで食えるとか、そんなことを考えていたわけではない。「これで俺はやっていく」一番最初にそのことを決めてからこのビジネスを始めた。ビジネスプランもあるわけじゃないし、何か戦略を練っていたわけでもない、出たとこ勝負で成り行き任せ。目に見えない「コーチング」というものをどう扱っていき、自分のものにしていくか。いまは、まだまだ未熟でありながら、当時よりそのことが少しだけわかった気がする。コーチングの肝はゴール設定をして、自分を高めて、目標達成していくことだ。と、言われてきたが、そのやり方はもう古い。というか一周まわって戻ってきた。いま、自分のところでやっているセッションはクライアントの能力開花を中心としているがこうして活字で書くと何やら胡散臭い(笑)実際、どうそれをセッションのなかでクライアントに掴んでもらうのか?①自分の人生は導かれている②自分の人生は試されている③人生で起きるすべての原因は自分にある他にもいくつか項目はあるが、それらを覚悟として腹に定めてもらうことでなぜか不思議なことが起こる。あなたが経験したことがあるかないかそれはわからないが、人生におけるシンクロニシティが起きる。(意味ある偶然の一致)こういう不思議なことが頻繁に起きたり、何かに導かれるように選択したそれが次の大きな道につながっていたり…自分の経験談や家内の経験、クライアントの経験を語り出せば枚挙に頭がないぐらいだ。言葉でいってしまえば、そういった直感力が磨かれ、感性が鋭くなったり、感度が良くなる。ヒト、モノ、コト、あるいは夢や予見、予感。何かに招かれ、思わぬところにたどり着く。言葉で説明するより、実際に、自分の身体で体感してもらった方が早い。俺がクライアントの能力を引き出す何か特殊なチカラがあるわけではなく、クライアント側に眠らせている野生的な勘を目覚めさせるためにセッションをする。そのセッションのなかでクライアントが何を掴むかはまさしく天の配剤。具体的に、超明確に、こういうものが手に入ります。なんてものは人生においてない。そんな買ったら100%当たる宝くじかあれば誰でも買う(笑)現実そうではない、そのことから自分がどう意味を見出すか?つまり、コーチとクライアントでセッションをし、クライアントがその時間をどう有意義なものにしていくか?それによって手に入るものは変わる。もちろん、コーチもその時間は全身全霊で感度を働かせてクライアントが潜在的に求めるものを直感で渡していく。俺が常々「コーチングはアートである」というのは、そういう意味だ。その場、その場で一回限り。さながら、即興演奏のLIVEようにだ。その時間のカタチこそは残らないがセッションそのものがアートであり、やってみないとわからない。結果、何かが手に入る。何かが目覚める。何かが開花する。テキストで説明するとこれぐらいが限界になるのも、やはりコーチングというものがそういう特殊なものだという所以であるからだろう。何を掴むかはあなた次第である。コーチはあなたの能力(アート)を開花させるために全力を尽くすのみ。ここまで文章を読んでみて、このコーチングの意味がもしわかるなら、あなたにはこのコーチングは必要ない。「意味がわからない」「よくわからないけど何か感じる」そういう人に向けて、このセッションは提供しています。なので、ピンと来る人はその可能性に賭けてみてもいいかもね。という話です。【トライアルセッション】場所 / zoomか、対面で期間 / 単発(一回きり)時間 / 120分(延長ありです)値段 / ¥30,000日時 / 応相談※トライアルセッション後に、その場で継続コースに申し込んだ方は30,000円は無料にさせて頂きます。【1ヶ月コース】場所 / 自宅(ビデオ通話、対面は応相談)回数 / 5回セッション × 90分値段 / ¥80,000日時 / 応相談1ヶ月間チャットし放題(メール、LINEなど)お申し込み方法や各コースに関する質問は、下記の3つの好きなものからご連絡いただければ対応します。TwitterからDMを送るFacebookからメッセージを送る※追伸いきなりコーチングを受けるのに抵抗がある方には、無料で15分の超お試しコーチングも提供しています。サービスを受ける前に不安な方はこちらもお試しくださいませ。お申し込みはこちらから

「勘」で生きる

随分と粋なテーマから始まるタイトルだけど皆さんのなかにもまだまだ動物としての勘、野生的な勘は残ってらっしゃるか。ニュースやメディアを開けば話題の事件や事故が目に飛び込んでくる。世界のなんたらかんたら…やれ、世界情勢がどーしたこーした、他人がピーチク、パーチク。まぁ、うるさいったらありゃしない。こんなこと知っても糞の役にも立たない。自分の身の回りのこともままならないのに世の中のことを「情報」程度で捉えてなんになる?あなたが大統領やら権力者ならまだしも、俺も含めた一般ピープルが情報を詰め込んだら、それこそ感度が鈍るだけである。人生は結局、目の前にきた事象に対してどう処するか?これだけである。そして何が起きても大丈夫なように、情報を集めまくるのではなく自分のあり方を定めておくべきだろう。自分はいかにして生きていくのか?答えの出ない問いではあるが、このことを腹に刻んでイマ、ココに集中して生きる。そうすると否が応でも向こうから何かしらの事象となる種が飛んでくる。そのとき、我々はどう対処するのか?それにどう対応していくのか?それをどう解釈するのか?これが恐らく、我々の人生では試されてるのだろう。「キミならどうする?」って、人生はいつも投げかけてくる。これの連続がまさに人生であり、いまが、永遠と続くというのはそういう意味だ。過去は既に過ぎ去った日々…未来は未だ来ることのない日々…どちらも幻想であり、やはりあるのは永遠に続くいまだけ。いまを生き切る。これを腹に刻んで生きると、なぜか、感度が良くなり、些細なことでも拾えるようになる。感度が良いというのは、いわゆる直感が働く状態である。何かを決める手前で違和感を覚える。あるいは、この道を選ぶと、何かワクワクするようなことが起きるそんな予感、予見がする。動物としての勘、野生的な勘が本来、人間には備わっている。それがなぜか、「目標設定」だの「夢を追いかけよう」という戯言で鈍らされている。動物に目標も夢もへったくれもない。いまを生き切る、という覚悟を定めるだけで生命力も直感力も無限に湧き上がる。必要なのは夢でも目標でもなく、生きる、という覚悟。それが腹に決まれば、その人の能力は勝手に開花される。今回のテーマである「勘」で生きる、とはそういう意味である。手前味噌になるけど、自分のところで教えているコーチングはあえて目標設定などはしない。むしろ、そんなのは感度が鈍ってじゃまになるだけだ。ある一つの覚悟を定めて生きると、そこから自ずと直感力が磨かれ、勘が働き、道が自動的に拓れていく。何かのノウハウやテクニックではなく、動物としての勘や感度を高める話しか最近はしてないかな。そんなコーチングがあったらあなたは興味を持つだろうか。それとも訝しく思って距離を置くのか。それもまた、人生からあなたが試されている問いかけだろう。

知識より大切なものとは

以前、ブログで「専門用語を使う不自然な人たち」について書いた。記事内には動画のリンクも貼ってあるので合わせて見てもらうと理解が深まるはず。今回はその続き的な内容になるけど知識よりも大切なことがあって、それはまさしく「知恵」なんだよね。知識と知恵はよく似た言葉だけど、知識は本を読んだりネットを検索すれば誰でも得られるものだ。一方で、知恵とはそこに体験や経験、自身の実践がなければ語れないいわば、継承された哲学的なもの。人生で場数を踏んで身に付けた知恵は、やはり腹から出てくる言葉なだけに、たった一言でも説得力を帯びている。それが仕事であれ、人間関係のことであれ、専門分野でも同じだろう。反対に、知識をたくさん身に付け、饒舌に話すことができる若造も増えたが言葉に重みがなく、やはり余韻が浅い。自分がお世話になってきたメンターや、経営者や社長さんなど、やはり自分の言葉を持っている。決して言葉数が多いわけではないのにひとこと、ふたこと、言葉を放っただけで含蓄を帯びた言霊がこちらに伝わってくる。今回のメインテーマである知識との違いはなんなのか。長年それについて考察してきたが、ようやく答えが出そうだ。やはり、人生における実践で身に付けた知恵には説得力がある。心に残る言葉、胸に沁みる言葉、腹に響く言葉、これが自然と口から出てくる人はやはりリーダーであり、人を束ねたり、人を率いるポジションにいる。これらは知識を並べて綺麗に整頓されたところからは出てこない。饒舌な多弁家がウソっぽく見えるのはそのためだろう。YouTubeにしても、ネット上にしても、言葉で書くなり、語るのは誰でもできる。ただ、何を言うかより、やはり、誰が言うか。そして、何を言うかより、それを、どう言うか。どの業界でも、どの分野でも、このことを自然とわかってる人は何をしてもうまくいくし、うまくいっているように思う。やや、抽象的な話になってしまったけど、知識よりも大切なものは知恵であり、それを語る言葉に、言霊が宿ってるかどうか。それは本人の生き様で決まるのかなと。今回もこのブログと似たような内容で動画を撮ったので興味があればどうぞ。