笹崎武蔵

実はコーチ歴7年。無資格、無所属、無集客の三拍子理論を初めて打ち出したコーチングしないをコーチ。売れないコーチに売れる秘密も教えるコーチングアドバイザー。生き方、遊び方、稼ぎ方、この辺りが得意分野。

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10秒で伝わるシンプルな文章術

このブログを読まれる方もきっと、SNSやブログで情報発信をしてると思うから「書く」という作業は日常茶飯事だろう。さて、今回は、10秒で伝わるシンプルな文章術、なるものをまとめてみる。結論から言うと、わかりやすくて、シンプルで、深みのある文章、これらを端的にまとめて少ない手数で伝えられるかどうか。これに尽きると思う。逆に、俺が読みにくいし、何が言いたいのかわからん!!ってな文章はこんな感じだ。❶タイトルと内容に一貫性がない❷無駄に長くて言い回しがイラつく❸見出しを入れ過ぎて読む気が失せる❹自分の話ばかりを書き過ぎる❺こういう箇条書きが一番嫌い(笑)思い付くところで例を挙げるとこんな感じになるけど、一つずつ分析してみようか。❶まず、タイトルが「お」って思わせるのに後半になると何が言いたいのかわからなくなる文章だ。これは文章が「長くないと価値がない」という思い込みからくる手数の多さで、内容が薄っぺらくなるからだろう。❷先程の話の続きになるが、無駄に長くなった挙句、回りくどい言いまわしがこれまた読者をイラつかせてしまう。内容が薄っぺらいくせに結論やオチに辿り着かず、「ですが」「けれど」「だって」「でも」のように、やたらと免罪符を入れて自分を守りながら言い切らない文章は、「この人は何を伝えたいのだろう?」という、不安を相手に与える上に、読者を迷わせるから、ブログから離脱されやすいよね。❸タイトルなりを決めたら、文章は30〜45分で最後まで一気に書き切ることだ。途中で見出しを入れながら書いたり、「短いから少し付け足そう」なんて気負うからジャマな見出しだらけになる。見出しを入れまくるのは書き手のエゴであり、読み手のことを考えていない。見出しを入れるのなら文章を書き切ったあと、編集する際に読みやすくわかりやすくするためにリズム良く区切る目的で入れる。❹文章中に例え話を入れるのは必要だが、やたらと自分の過去や不幸話をもってきて、共感を呼ぼうとする文章はあさましい。というか、わざとらしい。何かを伝える目的や使命があって情報発信をしているのなら、明るい未来に導くのが我々の役目ではなかろうか?それを悲劇がたくさんあって、それを乗り越えて今がありますみたいな、わかるんだけど、読者はアンタの話なんかべつに聞きたくないんだよ。役立つノウハウやコンテンツを探してるわけだら、相手に必要なものを提示しよう。❺最後になるけど、箇条書きは必要に応じて使うものであり、必ずしも入れる必要はない。それどころか箇条書きが入ってるとそれだけで読む気が失せて、文章からもリズム感が失われる。無理に箇条書きしなくとも、文章でコンパクトにまとめられるのならその方が読者には伝わりやすいだろう。箇条書きを入れる目的は「わかりやすくするため」であり、あなたの自己満だか欲求を満たすためのものではないってこと。で、終わりになるけど、伝わりやすいだけでも味気ないし、わかりやすいだけでは深みがない。かと言ってこだわり過ぎると、読みにくい文章になる。タイトルと最初の数行で、ニュアンスが1発で伝わるかどうか。もう、10秒読んで「くだらない」と思われたら文章は終わりだ。最初の数秒に命を吹き込んで、その続きが読みたくなるようなものに仕上がってるかどうかを意識しよう。もちろん、その数秒が最後まで続いてそうな雰囲気が漂えば、文章としては、かなり良いと思う。あなたの参考になれば嬉しいかぎりです。以上。

頭に溜まったモヤモヤを一瞬で消し去る技術

あなたは毎日なすべきことがあるから恐らく、朝起きるのだと思う。「んなこたぁないよ」って人は論外で、何かしらなすべきことや、やりたいことをするために今日も生きている。違いますか?(笑)で、生きてれば理不尽な目にも遭うし腹の立つこと、嫉妬してやけ酒する夜もあるだろう。人生はいろんなことが起きるし、理不尽なことが降りかかってくるっていう前提で生きた方がいいぐらいだからね。今回はそんなあなたのために、頭のモヤモヤ、脳に溜まった感情のゴミを一瞬で消し去る方法を伝えてみる。まずは人生におけるゴールを持つこと、それも心から望む状況や状態を、思い切り描いて、それを目標に定める。(詳しいことは省く)そのゴールを基準に「いまを生きる」ことで、起きる様々なできごとに振り回されなくなる。具体的に言うと、その都度出てくる感情に振り回されなくなる。ところが、ゴールを持たない人を見ているとその時々のことに反応しまくって感情のままに振り回されまくってる(笑)で、それを解消するために、美味しいもの食べたり、お酒を飲んだり、遊んだり娯楽に浸る。まぁ、それも一つの手ではあるけど消費的な思考ではその場しのぎで根本的な解決にはならない。それだと刹那的な生き方になるよね。感情はただの生体反応なわけだなら、生命的な危機が訪れないかぎりは、感情=娯楽だと思った方がいい。映画を観るのも、音楽を聴くのも、お化け屋敷に行くのも、その求める感情を得るために行動してるわけだから、全部娯楽なわけだわな。って考えると、その時々のできごとや気分に振り回されるのはやはりゴールがないから。生きる目的、なすべきことがあればそんなところで一喜一憂しないはず。なので、頭に溜まったモヤモヤとか不必要と思える感情はすべてゴミでありそれらに振り回されなくなるには、心の底から望むゴールを持つことだ。で、ゴールを設定しておくと、何が必要か不要か瞬時に判断できるし取捨選択の精度やスピードも桁違いにあがる。その結果、自分の・能力・生産性・集中力が勝手にあがる。そう、勝手に爆上がりする。これらは意図してあげようとするものではなく、勝手にあがってしまうもの。自分のゴールを持つことで、頭のモヤモヤは瞬時に消え去るわ、頭に溜まった感情のゴミもなくなるわ、おまけにメリットだらけになるわ。ってことで、モヤモヤしちゃう人、感情に振り回されがちな人は心から望むゴールを持ってみよう。そうすることで、目の前の景色が一変し、人生の進む方向性が明確になるから。そうなると迷いも消えて、頭が冴える。そうすると直感力が…あ、ここから先はまた今度で。

ビジネス=「客観的なゲーム」

ビジネスにおいて、何かしら成果を出したい人は自分なりの目標なりゴールがあるだろう。目的が明確になったら、やることは決まってるわけだからそれに向けて淡々とやるだけ。生きてればビジネス以外でも嫌なこともあるだろうし、不愉快なこともあるだろう。いろいろ思い煩うこともある。でもね、それはプライベートとか近しい人間関係の間だけで簡潔させとけ。ビジネス=作業なわけだから、作業に対して感情は要らないわけだ。自分が結果を出したい分野のリサーチなり情報収集をしていれば、嫌な情報を目にすることもある。それも含めてリサーチだからね。ただ、それらは状況を把握するため、自分の現状を明確にするための情報&状況なわけだ。であれば、冷静にそれらを受けとめて分析する必要がある。特にビジネスを始めたての人が、リサーチの段階で情報に振り回されて、心が引っ張られてたら結果も出なくなる。作業と感情は切り離してやる方がいいし、情報と分析も感情をいちいち入れないし、その上で、使える感情やマイナスな要素は怒りのエネルギーに変換して、原動力にした方がいい。その反対に、プラスな感情や情報がエネルギーになる人もいるだろう。俺は動くときに怒りのエネルギーを使うことの方が多いけど、あなたはその逆のタイプかもしれない。要するに、環境やその時々の状況を見極めて自分なりに楽しんで取り組めるかどうかがビジネスの醍醐味でもある。ビジネスは、客観的なゲームだから、いかに状況を俯瞰して観れるか?だし、自分の視点から目の前を見るのではなく、自分という駒をどこに動かすと一番効果的なのかを上空から見下ろすイメージで楽しむ客観的なゲームだ。それがビジネスであり、まさに人生そのものだと思う。そりゃ、人間だから感情も動くし、腹の立つこともあるだろうし、目先しか見えなくなることもある。でも、自分の中心に決めたものをいつも軸に置いておけばそこを間違うことはなくなる。てか、そこさえ外さなければ、結果が良かろうが、悪かろうが、メンタルを揺さぶられることはない。で、特にビジネスであれば再三言うように、客観的なゲームだから感情で動かないことだ。ただし、ここだと思ったときに流れに乗れるかどうか、ここ一番で突っ込める自分を常につくっておけるかどうかが大切になる。なので、ビジネスにおけるマインドセットは、常に感情から切り離し、システマチックであれ。

後悔しない生き方とは

職業柄、いろんな人の夢や、やりたいことなどを聞く機会が多い。で、「〇〇がやりたいんです」っていう人に出会うと、「じゃあ、何で今それをしてないの?」って聞くと黙ってしまうことが多い。これはべつに責めてるわけではなく、ぼんやりとでも、やりたいことが浮かんだらそれは今すぐやった方がいいし、飽きるまでやり切った方がいい。なんでかって、大抵は最初に思い付いたやりたいことなど、本当の意味でやりたいことではなかったりするからだ。それをやり切ると一つの答えが見えてくる。「あ、これじゃないな」ってことがわかると次のやりたいことなり、夢らしきものが見えてくる。これを何回も繰り返しているうちに本当の夢みたいなものが見えてくるんだ。つまり、初歩の段階で出てくるやりたいことなどさっさと実現させて叶えてしまえばいい。もっと言うと、やり切って、さっさと飽きてしまえばいい。そうすると次のやりたいことは必ず見つかるし、出てくるから。人生は待ったなしだから、早くやらないと後悔が残るし、それがコンプレックスになる可能性すらあるんだよ。だから、やりたいことや、実現したいことがある人は大なり小なり関係なく、さっさとやってしまえばいい。ありきたりな言葉になるけど、夢なんてそんな大事そうにとっておかなくてもいいんだよね。今すぐやればいい。いくらかのお金や時間も必要だろうけど、本当にやりたかったら、言い訳よりも、実現する方法を脳は考えるから。難しく考えず、軽いノリで、ヒョイっとやって、次。ヒョイっとやって、次。で、いい。そのうちうまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。そんなものはやってみてからわかることだから、頭でグダグダ考えるものではない。さっさとやる。自分の欲をある程度満たしておかないと誰かの夢を叶えたり、手伝ったりするまでに歳を食ってしまう。ちょっとでもやりたいと思ったり、ひらめいたらその瞬間、動こう。感情はナマモノだから鮮度が大事だよ。

お団子おばさん

昼食をとった後、お団子お団子♡と、人気の団子屋へと足を運ぶ。店内は混み合っていて、このご時世あまりよくないかと思い、家内に買い物を任せて外に出で待つことに。団子を買って出てきたら、なにやら一悶着あったらしい。チェック柄の服を着たおばさんが先に店内で待っていたらしく、そうとは知らず店員さんに「次の方どうぞ〜」と呼ばれ、言われるままに家内が注文をし終わると、BBA「わたし、先に並んでたんですけど!」店員さん「え、先に?」BBA「だから!わたし先に並んで¥$☆→°」家内には直接言わず、店員さんを責め立て店の人全員を謝らせてたらしい。家内もその後、注文をし終わったので店の外のベンチで待ってたらチェック柄の服を着たおばさんがわざわざ目の前を通って行ったらしい。肩を怒らせて威圧するような歩き方で帰って行ったとか。しかも全然怖くないという。店員さんも可哀想だと思ったけど、直接家内に言えないこの人も微妙だなと思った。てか、たかが団子の一つや二つでキレるってどんだけ余裕ないんだ(笑)買って帰れたんだからそれぐらい我慢すればいいのに、一つのミスや間違いで店員さんを責めるってまさしく、タイトル通り団子ババアだな。団子はやさしい気持ちで、美味しくいただくものだ。ほっとする時間を得に、団子を買いに来た他のお客さんが可哀想じゃないか。

「あの人」がムカつく理由について

よくこんなことがある。例えば、Twitterなんかを見ていて、「コイツ自撮りばっかしやがって、自分のこと可愛いと思ってんじゃないの?ナルシストめ!」って怒り狂う女性がいたとする。でも、こういうのって、嫉妬もあるんだろうけど大抵は同族嫌悪だったりする。どういうことかって言うと、相手にも自分に似たところがあり、無意識のうちにその部分だけを照らし合わせて見てしまう現象だ。それなりに生きてきた人ならそういった経験を一度や二度ぐらいしてきてると思う。御多分に洩れず、自分もそうだったし、いまもそういうところがあるかもしれない。よく聞く話だと思うけど、相手は自分を写す鏡であり、「あの人がムカつく」ってのは自分がムカつくんだよな。自分と同じ要素が相手にもあり、それを自分から見て、相手に投影させてるからムカつくんだ。例えばビジネスをしてて、同業者がチャラチャラしてるのにお客さんがやたら集まってたり、稼いでたりすると腹が立つのもさっきの話と同じ現象だろう。まぁ、半分は嫉妬もあるんだろうが、自分が大切にしてる価値観があってその部分が商品やサービスに入ってて、それをいい加減にしてるヤツを見ると腹が立ってくるみたいな(笑)わかるかな。自分が大事にしてる価値観を相手が大事にしてないと腹が立つし、綺麗な人がぶりっ子だったりナルシストで腹が立ってくるのも、自分にも同じ要素があるからなんだよな。身に覚えありませんか?(笑)自分はそういう経験たくさんしてきたし、なんならいまでもあると思う。お恥ずかしながら、まだまだ未熟なもので。なので、あの人がムカつく!!って思うときは大抵が自分にも同じ要素があって、それを投影させてるだけね。原因は自分にあるし、未熟な自分(相手)が目の前にいたら自分はまだまだ改善の余地があると思って相手ではなく、自分自身を磨こう。自分の主観から見える世界ってそれぐらい狭いんだよね。これは肝に銘じておきたいところ。

現代人の感覚が鈍い理由について

少し使い古された言葉だが、「老後の安泰を考えよう」みたいなスローガンがある。何やら第一線を退いたら、「老後には2000万円の貯蓄が必要だ」みたいなフレーズは皆さんも聞いたことがあるだろう。これを聞いて、馬鹿言ってんなぁと思った。人間の本能に、不安になると溜め込む癖のようなものがある。この本能からくる資質に漬け込んで、労働力やお金を巻き上げたい連中がわざと不安を煽っているのだ。こんな茶番に踊らされて保険に入るヤツとか見るとおいおい、ちょっと待ってくれよと思ってしまう。人間なんぞ、生まれてこの方死なない保証なんてどこにもなくて、そもそも生まれた瞬間から死ぬことは既に決まっているのに、保険て…(笑)ギャグか?なんで生きることに保険をかけるのか?それは貯蓄脳からくる行動だろう。じゃあ、その貯蓄脳はどこからくるのか?「いざという時のために」みたいな、農耕民族のDNAからくる不安が元凶だ。その不安に漬け込んで、現代ではビジネスとは名ばかりでほとんどの人が誰かの言葉に動かされている。本人たちは気付いてないと思うけどね。で、なんの話だっけか…あ、感覚が鈍い現代人の話だったな。要するに、この溜め込んでしまう癖でモノや金を集めるだけ集めると、安心感が生まれて心が安堵する。(それを余裕と言うらしいが違う)そうなると、あまり生を感じなくなる、というより、死を意識しなくなる。こうなると、五感は使われないから衰える。現代人はとりわけ視覚優位でものを判断するから、感覚が鈍い、だから本能が衰える。というのがこの話の結論だ。まぁでもこれだけだとオチがないので、最後に、自分なりの感覚の使い方、本能的に生きる方法みたいなものをまとめて終わりにしよう。まず、感覚というのは考えて使うものではない。頭で考えるのは左脳だから言葉だらけの屁理屈になる。ヤバい!!と思ったときに出る、咄嗟の受け身だったり、ギリギリの間合いで危険を回避する身体の使い方なんかが感覚そのもの。身体に力みがなく、チカラが抜けてリラックスしている状態だと、咄嗟の出来事に対して柔軟に対応できる。これがチカラ任せに動いたり、チカラだけに頼ってスピードをカバーするから、怪我をしたり、危険を回避できなくなる。それにチカラが入ったままだと、一つ目の動作が終わって、次の動作をしようとすると必ずロスが生まれる。そのロスしている間に危険が近寄って来たら…そこで終わり。これは、どうすれば身体をうまく使えるのか?という話をしているわけではない。身体の使い方が自然になり、柔軟性が高い状態をキープできると心も連動して柔軟になる。つまり、身体を柔軟に使えるようリラックスさせておけば、自ずと心もそうなる。そうなると頭でゴチャゴチャ考えず、感覚的に物事を処理できるようになる。多分、太古の人間はこれを当たり前に、ごく普通にやっていたんだと思う。なので、特別なチカラではなく、誰もが持ってる本能だろうね。ということを言いたかっただけ。そのためには、得ることより、譲る心で、貯めることより、捨てる勇気を。溜め込まないようにしておくとピンチと隣り合わせになるから感覚が鋭くなってくる。そうなると本能のままに生きられるようになる。多分、あなたが悩んでるようなことは、ここに書いてあることをすべて実践に落とし込んだら簡単に解決すると思う。頭じゃなくて、身体の使い方で全部結果が変わってくるよってこと。

生まれてきたことに意味なんてない

定期的に考える、「生まれてきたことの意味」という題材について、改めて触れてみる。まず、人が生まれてくることに果たして意味はあるのか?結論からいうと、ない。なぜかって、生まれてきたのはすべて偶然の賜物でしかなくて、「たまたま」としか言いようがない。そこに意味を持たせたいのは人間側のエゴであり、自分勝手な都合である。じゃないと、人生においての生きる目的を個々が見出せないからね。だから意味付けと解釈で人生は成り立ってるなんてよく聞く話だよね。さて、これだけだと、ここで話が終わってしまうな。人類の生存戦略は「種の保存と子孫繁栄」と言われるが、これだけでしかない。よくわからん炭素化合物のかたまりに意識というものが存在して、単細胞生物が多細胞生物になり、DNAや遺伝子まで登場して、なぜか、それを何代も繰り返して登場したのが我々人類である。何のため?って聞かれるとこれは凄く難しい問いで、正確に答えられる人など恐らくいない。だから生きる意味も目的も特にない。現代においては特に、日本であれば餓死や飢え死にする危険性もほぼないし、食べ物も余っていて廃棄されるぐらいだ。って考えると、労働して金を得て、その金で食べ物を買うって真っ当だけどそれで生きていけるって…人生がチョロい感じがしてしまうな。資本主義も便利?と言われるが、目に見えないカラクリにみんながじつは騙されながら、まわってるクソシステムかもしれないし。そのクソシステムのために、わけのわからん労働と人間社会の中だけで通じる法律やら何やらを守りながら労働やらを虐げられて税金を徴収される…自然界の中では通じないルールで、人間を起点に考えたらそれが一番正しく、守らないと粛清されるという。あらためて文字に起こすとやはり、クソシステムそのものだな。おっと、クチが悪いですね、気を付けます。確かに、自分もその文明やらものすごく便利なインフラに依存&寄生して生きてるから文句を言える立場ではないとは思う。まぁでもあれだな、人として生まれてきたのなら、生き方と、死に方ぐらいは手前で決めたいものだな。どっかの誰かの決めたルールに従ってやるけども、死に様と、そこまでのプロセスにおける生き方ぐらいは自分で決めないとね。金があればおおよそ解決できる現代において、不便なことなどほぼない。このまま生きながらえ、そのままいつか死ぬのだろうけど、果たしてそれが幸せなのか。自分にはよくわからんが、生きる手応えみたいなものがまったくない。というか感じない。だから刺激を求めてやったことのないビジネスを起こして起業してチャレンジしてみたり、やや危険なスポーツに挑戦して負荷のかかる筋トレをしてみたり、外的な刺激を求めるのだろうな。要するに、本能はリスクを欲しがっている。ひるがえって、皆さんはどうだろうか。いろんなリスクを避けてはないかな。俺はリスクを好め!とは言わないが、最近になってそれをやはり求めてることを体感して、日々何かにチャレンジしてる。いや、しようとしてるのか。まぁ、システムやら文明について触れたけど外側をいじくるのは難しいから、結局は内面をいじくっていろんなことに挑戦するのが良いのだろう。生まれてきたことに意味はないけど、あなたなりの生きる目的を見出したり、生きる意味を見つけるのも楽しいかもね。

コーチ同士で連んではいけない理由

売れっ子のコーチと、売れないコーチには、明らかな違いがある。まず、売れないコーチほど、同士でやたらと連みたがる。コーチ界隈の中でも声のデカい連中に影響を受けて、「あ、自分もそうしなきゃ!」と、すぐ間に受けるタイプのコーチは教祖と信者の関係性になりがちだ。それだけならまだ良いかもしれないが、自分がコーチとしてクライアントを何人か受け持つようになったり、少し影響力を持ち始めると勘違いしてしまうのである。「自分の思いのままに人が言うことを聞く」という心地良さに酔いしれて、今度は自分が教祖になり信者をつくる。この関係性自体に問題はさほどないし、何ならそこに関わることでクライアントの人生が良くなるのであれば、一定期間、教祖と信者の関係性もありなのかもしれない。だが、大抵はコーチはそんな風にものを見れていないだろうし、現在、盲目的に声のデカいインフルエンサーに心を掌握されてるコーチは同じことを繰り返す。ってことがわかってるのなら、こんなブログを読む必要はない。わかっていないコーチに「気付いてもらえればいいかな」程度でこの文章も書いている。話が飛んでしまったが、売れないコーチは、同じようなコーチと連んで、同じような話をする。売れてるコーチはそもそも連まないし、同じような顔ぶれと同じような話もしない。つまり、領域が違うのだから、孤独なのが当たり前ということもわかっているのである。だから、連まないし、孤独の方が1000倍マシなのも知ってるし無理に人脈を広げない。そもそも人脈は広がってしまうものだし、仲間にしても作るものではなく、気が付いたら出来てしまうものである。それらを無理に広げたり、数を集めるのも不自然な話だ。不自然なことをやって安心感を得たいのは誰なのか?そう、コーチ自身である。クライアントにはまったく関係がない、むしろコーチ自身が、安堵、安心、安定を求めて連むのだ。そりゃ不自然なことをしていれば売り上げも伸びないし、なんならまだ売り上げがびた一文、上がっていないのでは?売れない不安から同志で連み、同じ顔ぶれで、いつも同じ話をする。まるで近所の井戸端会議である。不安になるから所属をするし、不安になるから知識に投資をするし、不安になるから資格を取りたがる。これらはクライアント側から見たとき、まったくの逆効果であることにも早い段階で気付ければ、まだまだコーチとしての伸び代もあるかも。ずいぶんと上から目線で偉そうに書いてしまったが、これを読んで腹を立たせるあなたのために書いたんだから効果はテキメンだろう。コーチと書いたが、起業家でも同じことだ。いや、すべての人間に言えることか。

一度でも無料コーチングをやると●●になる

なんか朝っぱらからコーチングを無料で配ってる売れないコーチを見かけたけど、これって愚策でしかない。価値を感じるものなら人はお金払ってでも求めるからね。逆に求められてないものを無料でばら撒いてもゴミと一緒だから「無料」と聞きつけた人しか来ないわけだ。で、「無料」でコーチングを受けてもらってそのあと有料にしたらどうなるか?同じ人は来ないだろうし、むしろ「なんで有料なの?お金取るの?」とか言い始める始末。「けっきょく、金かよ!」なんて言われるんだ。でも、こういう客を引き寄せてるのは自分だし、相手をクレーマーにしてるのも自分に原因があるからなんだよな。コーチングを生業にしたいのなら「値下げ」や「無料」はご法度だよ。価格競争に巻き込まれると、どこぞの牛丼屋さんみたいに安さで勝負をするようになるから値下げ競争に走る。そうなるとコーチングそのものに価値がなくなってくる。売れないコーチの特徴を列挙してみるので、改善したい方は参考までにどうぞ。・あなたから買いたいと言われる理由がない・業界の中でポジショニングが取れていない・てか埋もれてるからアンタ誰やねん状態・そもそも人間的な魅力が欠落している・コーチングを売ろうとし過ぎているこれを見てピンと来るコーチはまだ改善の余地あり。あとは、コーチングを求めてるお客さんはその辺の市場にはいないってことを理解しておくと良いかもね。求めてたら誰かは馬鹿売れしてるわけだし、後発組で、あなたがコーチとしてそこに行ってもお客さんは来ないよね。なぜなら先駆者が権威性を持ってたら同じところに並んでも誰も来ないから。それで、自分も権威性を持てばお客さんが来ると思って資格や認定講座を受講すればするほど、ますますコーチングは売れなくなる。売れないコーチはこれをやりがち。自信がないから資格を取る。自信をもっと付けるために認定されに行く。ということは知識や資格がなくなるとあなたは自信を失うことになる。そんなところに自立したいクライアントは集まるのかな?自立出来ていないコーチのところにコーチングを受けに行きたいと思うようなお客さんは来るのかな?このロジックが論理的に理解できて腹落ちする人は、どのビジネスに参入してもそれなりに稼げるし、上手いことポジションを取れるのでビジネスで困ることはないでしょうな。売れなくて困ってる、打開策が欲しいコーチの方は声をかけてもらえれば相談に乗ります。

「●●式コーチング」の弱点

世間にはいろんなコーチングが無数に存在する。●●式コーチング●●流派みたいな。流派や型にハマったコーチングは、その流派のなかでは確かに強いだろう。でも、それってその宗教のなかでは通じることであっても、一歩外に飛び出すと通用しなかったりする。流派や型が好きなのはコーチであり、クライアント側にとっては関係ない。というより、売れてるコーチは流派や型なんぞ強みにしていない。ちゃんと「あなただから」と買いたい理由がクライアント側から見たときに明確になっている。だから、流派の教えを説けば説くほどお客さんは離れていく。あなたはそういうことをしているんじゃなかろうか?型は所詮、型であり、現場では使い物にならない。なぜそれが言えるか、自分は現場の経験から先に入ってお金をもらってセッションをするのではなくお金を使ってセッションをした。その実践で得たものがいまは売りになっているし、商品になっている。有り難いことに、募集をしなくてもお客さんが途切れず、来てくださる状況になっている。だから、自分は型もないし、流派もつくっていない。型や流派がないと専門知識に乏しいのでは?と思うかもしれない。しかし、実践で得たものが人生はすべてだから、知識なんぞ後付けでどうにでもなる。それに、型や流派が好きなお客さんを集めたくないのもあるし、自分に似た嗅覚を持つ人だけが集まれば面白いので、今後もこれでいく。ってか、あなたがコーチであればクライアントには、自分らしさを取り戻してもらいたいはず。ならば、まずはあなた自身が自分らしさを身に付け、取り戻し、クライアントを導いた方が良いのでは?コーチはコーチングを極めるより、もっと自分らしくあるべきだし、自分の人生をいかに生きるべきか?を、誰よりも考え抜いて実践しないと。その経験が魅力になり、人を惹き付けるオーラになるのだろうし、自分らしさを教えられるコーチなのでは?と思う。自分のスタイルを見つけて、型破りなセッションやサービスを提案していかないとね。クライアントをワクワクさせるならあなたがワクワクした、型破りな人生を探究しないと。コーチングは哲学であり、同時に学問である。