チカラを抜くことで生まれるホンモノの強さ


よく、スポーツなんかでは
「脱力こそが強さの秘訣だ」
なんて言われるが、
間違ってはいないと思う。

ただ、今回のタイトルに
「脱力」と入れなかったのは
チカラを抜くこととニュアンスが
微妙に異なるから
なにやら長ったらしいタイトルになった。

そうそう、スポーツなんかも
普段色々やっている身からすると
チカラを抜いたほうが大抵はうまくいく。

ボールを蹴るのも、
バットで打つのも、
坂ダッシュするのも、
階段を駆け上がるのも、
自分の身体を持ち上げるのも、
ミットを拳で殴るのも、

すべてチカラを抜き、
身体から力みがなくなった状態で
やったほうがうまくいく。

強いチカラを発揮するには、
筋トレをして、筋肉を付けて、
あらんのかぎりチカラを込めて
殴り付けるのが強さだ、
みたいなことを聞くが、逆だね。

やはり、力まない状態で、
身体の軸をいつでも自在に動かせるぐらい
弛緩した状態で動くほうが
速さも出るし、とっさのチカラも出る。

力みがない分、無駄もないし、
行動から次の行動への繋ぎもスムーズで
美しい動きのなかに流れができ、
速さだったり、強さが生まれる。

普段、身体を動かすので
自分なりの運動に対する美学を語ったが、
何も運動に限った話ではない。

心もまったく同じ作用をする。

力んだポジティブシンキングは
現実(事実)を捻じ曲げた解釈をし、
手前の都合良いよう受け取るため、
不自然さと違和感だけが残る。

そんな心持ちの人間が
他人とコミニュケーションを取ろうものなら
あっという間にトラブルに発展する。

力んでる時点で弱いし、
チカラが入るということは
弱さを隠していることの
表れでしかない。

要するに、猫をかぶってるということだ。

猫をかぶってるヤツは
手の内を明かさないから、
いつも本音と建前を
行ったり来たりする。

自分をごまかしてるからこそ、
本音と建前が必要になる。

弱さを隠すために建前をつくり、
猫をかぶって手の内を明かさない。

核心に迫るような質問をすると
こういう人間は動揺するし、
口調に力みが出たり、感情が出る。

弱さを必死になって隠そうとするから
そうなるのである。

ひるがえって、自分の場合は
弱さも何も、隠すものさえありゃしない。

誰が相手でも初めからフルチンで行く。

自分が弱いこともわかってるし、
それを隠そうとすれば力んで感情が出る。

そうなれば醜態を晒して、
チカラいっぱいにごまかそうとするから
不自然さと違和感だけが残る。

こんな姿をひけらかすほうが
よっぽど恥ずかしいし、みっともない。

それであれば、鼻からフルチンで
人と対峙するほうが力みもないし、
リラックスした状態でやり取りできるから
持てるものを最大限に活かすことができる。

つまり、心に余裕があるということ。

余裕のある人間は無駄がなく、
動きや言動も流暢で綺麗だ。

余白があるというべきか。

「やろうと思えばいつでもできますよ」
というオーラを放っている。

もちろん、自分がその域まで達しているとは
思わないが、そうありたいと思いながら
日々を生きている。

話が長くなったけど、身体を使うときも、
人と接する心を使うときも同じである。
というのが今回の趣旨だ。

力んだり、隠したり、
チカラでごまかそうとするのは
弱さの表れであり、
それ自体が自分の心を不利にする。

そんなみっともない姿を晒すぐらいなら
最初から包み隠さずフルチンで行け。

それが余裕を生むコツであり、
力みの抜けたホンモノの強さだから。

脱力とか、
チカラを入れないとか、

それすらも意識から外れたときに
モノになる。
笹崎武蔵

古神道や神社について、参拝した経験に基づき、マニアックな見解を述べていきます。神棚、しめ縄もすべて手作りで、神仏にまつわる体験やスピリチュアルな話もブログやYouTubeにて公開中。

実は本業「人生相談屋さん」です。(8年目)
今風にいうならコーチングをしています。

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