お金があるとか、ないとかどうでもいい


普段はあまりお金のことを書かないんだけど
ピンときたので思うがままに書いてみる。

むかーし、お金が今より全然なくて
正直、生活に少し困っていた時期があった。

でも、振り返ってみると、
お金がないんじゃなくて、

いつも「足りない、足りない」と、
欠乏感を抱えて生きていたのだと思う。

厳密に言えば、暮らせていたわけだし、
なんなら今よりも自由によろしくやってた。

おそらく、世間でいうところの「金持ち」
的な人と比較して、もっと!もっと!って、
なっていたんだろうね。

すげー、見苦しいよね。
今思えば。
小汚いというか。

時が経つにつれ、ビジネスも軌道に乗って
普通に暮らせるようになった。

欠乏感もなければ、
誰かと比べることもしなくなった。

結果、お金は昔よりかなり余っている。

お金はご飯食べたり、
生きていくこと以外に使わなくなった。

だから長財布も要らなくなって処分したし、
今は小銭入れとコンパクトなカードケースだけ。

外食もしないし、
外で何かを買うというアクションをほぼしない。

何か無駄なことをかなりしてきてからの、
この生活だもんね。

べつに贅沢な暮らしも興味ないし、
物欲もほぼゼロ。

元々ブランドものも好きじゃないしね。

ちなみに今日の服装は
家内に5年前に買ってもらった
3000円のジーンズ、(冬はこれ一本)
500円の無地のTシャツ、
2000円の撥水ウインドブレーカー、
100円のネッグウォーマー、
100円のニット帽、
100円の手袋、

普段がママチャリ移動なもんで、
防寒具は少し必要だけどこんな感じ。

正直、衣服も困ってないし、
履き物はサンダルか下駄。

たまーに、靴を履くけど
それぞれ一足ずつしか持っていない。

まぁ、これは個人の趣味嗜好だから
人によって様々だろうけど、
俺の暮らしはこれで十分こと足りる。

人様に会うときは小綺麗にはしていくが、
基本的に服装も変わらないし、
気負うこともないから見栄も張らない。

なんか、みんな生活の水準を上げ過ぎてる
気がするんだよな。

そりゃ、理想だとか好みはあるだろう。

でも、他人の暮らしとか隣の芝生を覗いて
真似したり、影響を受けてないかい?

暮らすのには対して困ってないけど、
欠乏感から大量消費に走って…
あげく、金が足らなくなって稼ぐハメに。

あんまり金儲けとか意味ないけどな。

何か大きなことをやりたくて
費用が必要な人は金が要るんだろうけど、
一般的な人はそんなにいらないだろ。

贅沢とか、生活水準あげてなければ。

もはや贅沢ってなに?
って思うようになったし、

最近は身なりが金持ちっぽいと
ダサいし、キモいって思うようになった。

なんか身なりだけチャラチャラしても
中身が伴ってないと似合わないんだよな。

俺なんか下駄が欠けても買い替えず、
自分の手で修理して履いてる。

履けるものを捨てたらもったいないしね。

元々、日本人はモノを大切にする
民族だったはずなのに、、、

いつからか西洋かぶれになって、
明治維新以降、すっかり洗脳され、
大量消費の渦に飲み込まれていくハメに。

それで良い暮らしをして、
良いものに身を包んでないと
他人からダサく思われる。

みたいな価値観を刷り込まれて
要りもしないブランドもんぶら下げて
伊勢神宮とかで神社参拝。

神様も笑ってるよ。

マジで日本の風景に馴染まない。

まぁ、都会とか、
コンクリートに覆われた街なら
そういうもん身に付けてて違和感ないか。

芸能人、有名人、インフルエンサー、
こういう人間も興味ないし、
生活が豊かだから比較もしなくなった。

みんなテレビ、スマホ、ネット、
こんなところで四六時中、
必要もない情報にアクセスして
脳を無駄に刺激していないかい。

ほしくもないもんを「ほしい!」って
思わされたり。。。

もう足りてるのに「足りない!」って
思わされたり。。。

多分あなたたちが必要だとしてるものは、
物質世界や外側にはないよ。

本当に必要なものは内側であり、
己の心に「既にある」ことに
気がつくことなんじゃないかな?

と、俺は思いますよ。
笹崎武蔵

古神道や神社について、参拝した経験に基づき、マニアックな見解を述べていきます。神棚、しめ縄もすべて手作りで、神仏にまつわる体験やスピリチュアルな話もブログやYouTubeにて公開中。

実は本業「人生相談屋さん」です。(8年目)
今風にいうならコーチングをしています。

その他のこと。

ビジネス、起業コンサル、お金の稼ぎ方、生き方、遊び方なんかも得意分野でアドバイスしています。

健康に関することも仕事にしているので、ダイエット、痩せる方法、健康になる方法なども個別で教えてます。

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