今日はTwitterでこんなのが
流れてきた。
少し気になったので、
このテーマについて掘り下げてみる。
ありきたりな日常にこそ、人生の醍醐味や情緒があると思うけどな。専門用語でインテリジェンスだっけ?「ありふれた情報から、より深い意味や意図を読み取る行為」って言うみたいだけど、ありきたりな日常から情緒が芽生えないってことは感性が鈍いから、人と違うところに行っても深みは出ないよね。 https://t.co/war7jal1PJ
— 笹崎武蔵|野良稼業・裏コーチ (@megumusa) February 16, 2021
そもそも人と違って何が悪い?
とあったが、人は皆違う。
だからそこに良いも悪いもない。
あるのは、それこそありきたりな日常が
皆さんそれぞれの人生に流れているだけで、
ありきたりにするのも、非日常にするのも
自分次第である。
恐らく彼女なんかは逆張りすることが
カッコ良くて自称少数派の人生に
酔ってるんだろう。
リプ欄にもあったけど、
なんか昭和のロックンローラーが
吠えてる感じに見えるけど
全然カッコがつかないから見てる方が
恥ずかしくなるよね。
道を外れようとしても根が真面目なのか、
ガッツリ他人と足並み揃えてるし。
可もなく不可もなく、
ありきたりな人生になってるんだろう。
そこに強烈なコンプレックスがあるから
強い言葉やあえて「信念」なんて
言葉を並べてるけど、
信念がある人は、「信念」とか使わない。
それこそ、言葉の端々に滲み出る情緒から
その人の人となりが垣間見えるからね。
そういう行間を読んだり、
感じ取るチカラがまさに情緒であり、
人の深みにつながるのでは?
と思った。
なので、戦略か知らないけど、
彼女のように無理矢理ツッパらなくても、
人生で「これだ」というものを見つけたら、
人は自然とありきたりな人生が、
非日常の連続になるはずだ。
そうなると不自然なツイートや、
「よーし!やるぞ!」なんて力まなくても、
自分らしい人生を歩みながら
魅力的な人間になれるはずだから。
魅力的な人間になると、
実はありきたりな人生が
どれだけ自分を育ててくれて、
面白い経験をさせてくれるか?って
感謝すらできるようになるんじゃないかな。
そうなると、ありきたりな人生が
とても魅力的になるし、
人間的にも深みが増すのでは?
と思った。
「ありきたりな」とか言ってるうちは
他人との比較になるから人とは比較せず、
自分が誇れる人生を送れれば
それでいいじゃないか。
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