嫌われ屋の品格


誰かと一緒にいると、
自分らしく振る舞えなくて
自己嫌悪に陥る人がいる。

まぁ、「らしく」とは言ったけど、
取り繕って本性を隠しているのだから
そういう意味ではその人は
「自分らしく」振舞ってるのか。

とは言え、腹の底では

「こういうことを言いたい」
「ほんとはこのことを伝えたい」
「こういう話をしたい」

って思ってるよね、
そういう人ほど。

上辺や建前で人とかかわることになれると
自分の出し方がわからなくなるらしい。

でも、子どものころは大抵の人が
不器用ながらも
自分を曝け出してたんじゃないのかな?

子どもはそのまんま生きてるじゃん。
大人でもそれでいいんだよ。

カッコ付ける必要ある?
取り繕って意味ある?

自分じゃない何かで自分を固めて
一生懸命に自分を守る。

そう「自分」が大好きだから。

自分が好き過ぎる人ほど、
人間関係で煩わしい思いをする。

自分を大切にしたいからね。

わかるけど、自分を守り過ぎると
箱入り娘のようにしてしまうから
殻を破れなくなるんだよ。

自分という個体をもう一人の自分が見て、
それを操るのが人生というゲームだ。

みたいな感覚で自分を動かすことができたら
そこに囚われることもなくなるんだけどね。

「さて、最近コイツは怠けてるから試練でも与えてやるか」

みたいなスタンスで自分を蹴飛ばして、
あえてキツい環境に行かせるとかね。

いつもはここで楽をするけど、
今回ばかりはキツい目に遭わせてやろう。

みたいな感じで、
自分を楽させないというか。

これが映画だったら
ここで激しく展開してトラブって
それを乗り越えて〜みたいな。

いつもそうやって想像しながら
人生で起きてくる問題や厄介ごとを
楽しんでるんだけど、

どうやらそれを避けてるのかな?
周りから嫌われたくない人は。

でも、そうやって避けて、避けて、
来た結果が無様な自分をつくってんだよね。

今回のテーマは「嫌われ屋の品格」
についてだけど、

要するに、どう振る舞おうが
好きも嫌いも相手が決めることで、
それが人生のすべてではないってこと。

素の自分を曝け出して嫌われても
それは相性の問題であって、
評価されたわけじゃないから
気にしなくていい。

いろんな服を社会から着せられ、
知識、情報、スキル、そういった
ステータスみたいなもので武装するけど、
それをやめなさいって言ってんの。

丸裸でいいじゃん。

フルチンで嫌われたら
それはそれでオッケーなんだよ。

そんな素っ裸な自分でも
好きになってくれる人は必ずいるし。
そういう人を大切に生きたらいい。

人生ではそうたくさん、
そういう人には出会えないけど、
出会うためにこうしてブログも書くし、
自分から自発的に動く。

自分でコントロールできる領域と
そうでない領域があるから
その分別ぐらいは自分でしないと。

あなたがすべきことは
自分でコントロールできる領域で
自分らしく精一杯生きることだ。

そうすることで、

コントロールできない領域にも
影響を与えて、
望んでるような生き方もできるだろう。

人から故意に嫌われる必要はないが、
結果として嫌われるのなら潔い。

そのために素の自分を曝け出し、
取り繕わず、自然に振る舞う。

それで好かれたらラッキー、
嫌われたら次に行けばいいだけ。

それでも悩んだら、
俺んとこに飲みにこい(笑)
笹崎武蔵

古神道や神社について、参拝した経験に基づき、マニアックな見解を述べていきます。神棚、しめ縄もすべて手作りで、神仏にまつわる体験やスピリチュアルな話もブログやYouTubeにて公開中。

実は本業「人生相談屋さん」です。(8年目)
今風にいうならコーチングをしています。

その他のこと。

ビジネス、起業コンサル、お金の稼ぎ方、生き方、遊び方なんかも得意分野でアドバイスしています。

健康に関することも仕事にしているので、ダイエット、痩せる方法、健康になる方法なども個別で教えてます。

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