世の中には家柄、車、所有物、
年収、連れてるパートナーなんかを
比較する人たちがいる。
そうやってスペックは他人と比較するくせ
自分のあり方を比較する人は少ないんだなと。
もちろん、ここに出てくる前者は論外で
俺はまったく興味がない。
今日はその後者について考察してみる。
あり方の比較するしないってのは、
その人自身の魅力につながる話だ。
人としての魅力や奥深さは
スペックじゃない。
むしろ、スペックを語るような
安い男は薄っぺらい顔をしてるし、
スペックを語る女は金やステータスに
コンプレックスを抱えてるのだろう。
どちらにしてもそんな男女は
大人として終わってる。
スペックとかステータスなんてのは
二日酔いの朝に吐くゲロと同じだから。
人間から滲み出る魅力とか
奥深さってのは、
その人のあり方によって決まる。
あり方はどこから出てくるのか?
それは趣味でも仕事でも
なんでもいいんだけど、
何か一つのことを突き詰めたことがあるか?
これに尽きる。
何かの分野でそれをやった経験のある人間は
他のジャンルに移行してもそれかできる。
そう、何をやるかは
さして重要じゃないからだ。
何をやるかはどうでもよくて、
それを「どうやるか」が重要だから。
それをどのように実行して、
どうやるかがその人独自の表現になる=
そこに生き様やあり方が滲み出る。
この話を聞いてなんとなくわかる人は
感覚が似てるから説明不要だろう。
問題なのはこの話を聞いても
イマイチ、ピンと来ない人だ。
何かを突き詰めた経験のある人は
見聞も広いし、人として懐も深い。
それゆえに教養が何かもわかってるし
話の振り幅も広く、
不器用だったとして魅力を感じる。
今日伝えたかったテーマは
その辺の話だ。
さて、話を本題に戻してみる。
今現在やたらと不幸を感じる人は
スペックやステータスを比較するから
悲劇のヒロインになるのであって…
比較する部分を間違っている。
その人、あなたでもいいが、
問題があるのはあり方についてだ。
あり方が定まらないから、
人とスペックを比較して
自分に足りないものを
そういったもので補おうとする。
それはただのコンプレックスだから
精神の成熟以外では解決しないんだよな。
だから根本がズレてる。
スペックとかステータスを超越するには
自分のあり方を明確にしつつ、
その部分を比較して自分はどうか?
そうやって自分の立ち位置、
世の中における現在地を見ていく。
その比較が人生における摩擦になり、
刺激になって自分を成長させてくれる。
それがわからないから不幸になるし、
スペックにこだわるヤツは
総じて浮ついてるから軸が定まらない。
このことが腹落ちすると
不幸は感じなくなる。
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