自分磨きの落とし穴


自分磨きというワードが流行って久しいが、
自分磨きが好きな人たちには、
ある、共通の特徴がある。

それは一人称が「自分」である。

んー、何か引っかかる。

べつに自分を磨くのはわるいことではない。

わるいことではないし、
どちらかといえば何かを学び続ける姿勢は
尊敬にも値するのだが…。

思うに、自分磨きをする人間は文字通り、
自分にしか興味がないのである。

そういう人にかぎって

占いやら、
自己分析やら、
診断系のアプリ?
っていうのかな、
好きだよね、ああいうのが。

で、そんなに自分を知ってどうするの?
ってこと。

人生がうまくいかないことにカマをかけて
徹底的に自分を知ろうとする。

なんというか、間違ってはいないけど
なんかズレてんだよね。

そもそも自分磨きって
周りや大事な人のために
失礼がないようにするための
もんじゃないの?

相手の役に立ったり、
人助けをしたり、
貢献活動をするために。

なのに、自分のために「自分磨き」って
かなりズレてるし、さぶいよね。

KYって言葉も流行ってたが
まさしくあれだよね。

場の空気が読めない、
相手の心がわからない、
自分のこともわからない、

こういう連中を総称して
日本語では未熟者という。

自分が未熟であるという自覚がある人は
まだ謙虚に学ぶ姿勢があるから、
不器用でも品があるように見える。

それが、途端に一人称が「自分」になると
どこか卑しさを感じてしまう。

自分を磨くために
自分を磨く。

やはり、ナルシストで滑稽さを感じる。

当の本人は、その卑小感を漂わせながら
平然と生きてるから始末がわるい。

それも自分がどこかで得をしたい、
誰かに勝ちたい、少しでも多く得たい、
というところから自分磨きに辿り着く。

だからかな。

人間的な深みや情緒が出ない、
イマイチ、パッとしないのは。

そういうところだよ。

それこそ目の前の人の気分を
害させないように自分磨きをしないとね。

すべての原因は自分にあり、
尻拭いをする覚悟を決めて、
死ぬまで学び続けないとね。

自分のためにではなく、、、

人生をより良いものにしようと思うなら
人間関係の向上が絶対だよ。

そのために磨きをかけて、
何かを学ぶ。

一人称は「あなた」であるべきだし、
微塵の濁りも驕りもなく
人のために尽くせる人間でありたい。

少なくとも俺は。
笹崎武蔵

古神道や神社について、参拝した経験に基づき、マニアックな見解を述べていきます。神棚、しめ縄もすべて手作りで、神仏にまつわる体験やスピリチュアルな話もブログやYouTubeにて公開中。

実は本業「人生相談屋さん」です。(8年目)
今風にいうならコーチングをしています。

その他のこと。

ビジネス、起業コンサル、お金の稼ぎ方、生き方、遊び方なんかも得意分野でアドバイスしています。

健康に関することも仕事にしているので、ダイエット、痩せる方法、健康になる方法なども個別で教えてます。

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