「勘」で生きる


随分と粋なテーマから始まるタイトルだけど
皆さんのなかにもまだまだ動物としての勘、
野生的な勘は残ってらっしゃるか。

ニュースやメディアを開けば
話題の事件や事故が目に飛び込んでくる。

世界のなんたらかんたら…
やれ、世界情勢がどーしたこーした、
他人がピーチク、パーチク。

まぁ、うるさいったらありゃしない。

こんなこと知っても
糞の役にも立たない。

自分の身の回りのこともままならないのに
世の中のことを「情報」程度で捉えて
なんになる?

あなたが大統領やら権力者ならまだしも、
俺も含めた一般ピープルが
情報を詰め込んだら、
それこそ感度が鈍るだけである。

人生は結局、目の前にきた事象に対して
どう処するか?

これだけである。

そして何が起きても大丈夫なように、
情報を集めまくるのではなく
自分のあり方を定めておくべきだろう。

自分はいかにして生きていくのか?

答えの出ない問いではあるが、
このことを腹に刻んで
イマ、ココに集中して生きる。

そうすると否が応でも向こうから
何かしらの事象となる種が飛んでくる。

そのとき、我々はどう対処するのか?
それにどう対応していくのか?
それをどう解釈するのか?

これが恐らく、我々の人生では
試されてるのだろう。

「キミならどうする?」

って、人生はいつも投げかけてくる。

これの連続がまさに人生であり、
いまが、永遠と続くというのは
そういう意味だ。

過去は既に過ぎ去った日々…
未来は未だ来ることのない日々…

どちらも幻想であり、
やはりあるのは永遠に続くいまだけ。

いまを生き切る。

これを腹に刻んで生きると、
なぜか、感度が良くなり、
些細なことでも拾えるようになる。

感度が良いというのは、
いわゆる直感が働く状態である。

何かを決める手前で違和感を覚える。

あるいは、この道を選ぶと、
何かワクワクするようなことが起きる
そんな予感、予見がする。

動物としての勘、
野生的な勘が本来、
人間には備わっている。

それがなぜか、

「目標設定」だの
「夢を追いかけよう」という戯言で
鈍らされている。

動物に目標も夢もへったくれもない。

いまを生き切る、という覚悟を定めるだけで
生命力も直感力も無限に湧き上がる。

必要なのは夢でも目標でもなく、
生きる、という覚悟。

それが腹に決まれば、
その人の能力は勝手に開花される。

今回のテーマである「勘」で生きる、
とはそういう意味である。

手前味噌になるけど、
自分のところで教えているコーチングは
あえて目標設定などはしない。

むしろ、そんなのは感度が鈍って
じゃまになるだけだ。

ある一つの覚悟を定めて生きると、
そこから自ずと直感力が磨かれ、
勘が働き、道が自動的に拓れていく。

何かのノウハウやテクニックではなく、
動物としての勘や感度を高める話しか
最近はしてないかな。

そんなコーチングがあったら
あなたは興味を持つだろうか。

それとも訝しく思って
距離を置くのか。

それもまた、人生からあなたが
試されている問いかけだろう。
笹崎武蔵

古神道や神社について、参拝した経験に基づき、マニアックな見解を述べていきます。神棚、しめ縄もすべて手作りで、神仏にまつわる体験やスピリチュアルな話もブログやYouTubeにて公開中。

実は本業「人生相談屋さん」です。(8年目)
今風にいうならコーチングをしています。

その他のこと。

ビジネス、起業コンサル、お金の稼ぎ方、生き方、遊び方なんかも得意分野でアドバイスしています。

健康に関することも仕事にしているので、ダイエット、痩せる方法、健康になる方法なども個別で教えてます。

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