こんにちは、武蔵です。
「自分らしくなる!」って鼻息を荒立てる人ほど、全然自分らしさがなかったりしますよね。
そもそも自分らしさってなんですかね?
自分らしさに定義なんてないので、自分らしくなることなんかさっさとあきらめたほうが楽ですよ。
だって、自分らしさなんてもともとどこにもないんですから。
ないものになろうとすることほど、
無意味なことはないし、
ないものになろうとすることほど、
苦しいことはないんじゃないかな。
だから自分らしくなることはあきらめようってことで、テーマをを絞ってお伝えします。
人前で自分らしさが出せない人
先ほど話したように、まず自分らしくなることをあきらめて、その気持ちを手放してください。
そんなところに執着しても、本当の自分なんて出せませんから。
じゃあ、自分らしさってなにかっていうと、自分の状態が自然体として出せてるときですよね。
わかりやすく言うと、リラックスしてる状態なんかは自然体なので「自分らしく!」なんてムリに演じてませんよね?
あえて定義するなら、それが自分らしさじゃないでしょうかね。
それ以下でも以上でもないかと。
自分らしくを意識し過ぎるから、何者かになろうとして緊張状態になり、何者でもなくなるんですよ。
わかります?
根底にあるものを認めたらいいんですよ。
・恥をかいたっていいし
・人前で失敗したっていいし
・どうしようもないと思われてもいい
立派である自分を演じて、それをまわりに認めさせないと具体的に何がどう困るのでしょうか?
おそらく、それで困る人は誰もいません。
自意識過剰なあなたが勝手に思い込みで幻想を創り上げて、勝手に困ってるだけなんですね。
思い込みをなくしましょうよ。
人間には色々な側面がある
Aさんと接してるときの自分はなんだかワクワクしてとてもポジティブだ。
Bさんと接してるときの自分はなんだかソワソワしてとてもネガティブだ。
Cさんと接してるときの自分はなんだかキラキラしてとても知的な感じだ。
まぁ、これ以外でもいろいろな自分がそれぞれの場面で顔をのぞかせると思うんですが、それはどれが正解とかっていう話ではなく、全部あなたなんですよ。
これは相手によってあなたがコロコロと態度を変えているのではなく、相手が違うからあなたの反応が変わるだけなんです。
これは当たり前の話で、人間や動物は反応する生き物なんですよ、わかります?
人間は反応する生き物
外的要因→あなた→反応
つまり、
インプット(外的要因)
↓
(感情が喚起される)
↓
フィルター(あなた・主観)
↓
アウトプット(反応)
細分化すればもっと項目が増えそうですが、これぐらいにしておきます。
外的要因によって人は反応してるんですが、この感情の部分は反応を変えることができます。
内部表現の書き換えによる技術で、そのものが与える役割や機能にどんな意味を持たせるかで、あなたの喚起される感情の反応が変わるということです。
まぁ意味付けを変える、自らマインドコントロールをするとも言えますが。
上の説明でもしたように、人間は勝手に反応してるだけなんで、そんな外的要因で喚起されて反応した感情なんか無視してもいいってことです。
巷によくあるインチキビジネスで、「あなたの感情にはしっかり向き合いましょう」とか言ってくるスピリチュアルおばさんとかいるけど、ああいうのはどうでもいいし、全部詐欺だから無視していいです。
感情に向き合わせることで、儲かるヤツがいるってことさえわかっておけば大丈夫。
以上のことを踏まえて
以上のことを踏まえたうえでまとめると、自分らしくなることはもうあきらめてください。
これはネガティブなことでもなんでもなくて、ムリに演じるようなことはしなくていいし、あなたが自然体でいるためには要らない気持ちを手放していいよ、ってことなんです。
そうすることで、誰といるときでも自然体な自分が出てくるし、会う人、会う人によっていろいろな側面を持った自分も垣間見えるけど、それは八方美人のようにあなたがコロコロ態度を変えているわけではなく、ただ外的要因によってあなたが反応してるだけだから気にしなくていいよ、ってことです。
そのことをわかったうえで、演じたい自分があれば自由にしたらいいし、まわりに認めてもらいたい自分がいるなら出してみればいいんじゃないでしょうか?
本当の意味で自分なんてどこにもいないし、いるようでいないに等しいので。
くれぐれも自分探しとか、自分らしさにハマらないように気をつけてください。
この記事にも書きましたが、自己の探求なんて永遠に答えが出ないし、ほんとに無意味だと思うので。
・ストーリーを書き換える
・出演する映画を変える
・映画のなかでの役割を変える
自分探しにハマりそうになったら、この3つの項目を思い出して対処してみてください。
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