やや大げさなタイトルをつけたので、
まずこの話からしてみる。
ちょうど6年前か、東京のホテルに1ヶ月以上滞在してて(飲み歩いてた)、ひょんなことからネットで今の家内と出会った。
(酔っ払ってTwitterでナンパした)
そこから実家の愛知に戻り、荷物をそのまま残して文字通り手ぶらで三重県に来た。
そこは県庁所在地である津市なわけだが、何もない。駅のまわりにも何もない。
ひたすら片田舎である。
ただ、津駅の歩いてすぐのところにジョーズバーというBARがあり、そこは別格。検索してたどり着いた酒場なんだけど、まさしく今回のタイトルのキッカケになったBARである。
実はこのブログでも一度記事にしたことがあるけど、ミスって削除してしまったので残念ながら残っていない。(失敬)
そこのジョーズバーのマスターはジョーさんと言い、初めてお店に行った折、注文したのはたしかスコッチのラフロイグ10年だったかな…。(記憶があやしい)
お店にはアンティーク品をはじめとする、ジョーさんお気に入りのセレクションが所狭しと並べられている。
そのころ、ちょうど自分も物販をしてて骨董品やアンティーク品の販売をしてたもので(実家が骨董屋)マスターとはすぐに意気投合した。
古いカメラの話に始まり、自転車、骨董品などの話で盛り上がった。
カウンターでやる一杯はじつにうまい。
ウイスキーの数もこれまた半端じゃなく、どこのBARと比べても恐らくここが種類では圧倒しているだろう。
起業やビジネスについて、商売についてあれこれ語らい、その日はほろ酔って帰宅する。
それから数ヶ月後、某駅で電車を待つジョーさんにバッタリ再開する。
お互いに反対方向の電車に乗るので、「ああ、あの時来たアンティーク品の子だっけ?」と言われ、「はい、そうです。また店に顔出しますね。でわ!」と言ってその日は別れた。
そして、つい先日のことである。
これまた、よその街でジョーさんとバッタリ再開する。そこは江戸時代における東海道の有名な宿場町である。
ここの街並みが好きで、思い付いたように歩きに来たり、お茶をしに来たりする、自分にとって名残のある場所。
コロナ禍で過疎化に拍車がかかったようにも思えたが、相変わらず風情のいい佇まいが哀愁を思わせる街並みだ。
何軒か骨董屋を横目に見ていると新しく雰囲気のある骨董屋が目に飛び込んだ。
なんか趣味が似ているというか、懐かしい雰囲気に誘われ中に入る。
すると白髪のロン毛結ぶ後ろ姿のジョーさんが目に飛び込んだ。
じつに数年ぶりの再開である。
接客中だったので、しばし待ったところで家内が声をかける。
「ジョーさんですよね?」
「ん、会ったことあったっけ?」
「お店の方に何回か…」
「あー、BARのお客さんなら優遇するよ♪」
と言われ、お店を案内してもらい、奥の方にある手作りのアトリエも見せてもらった。
そう、ジョーさんはBARを30年やるベテランでありながら、骨董品を販売しつつ、本業は絵描きだとおっしゃる。自分では何屋かわからん。って笑
もちろん、そのことは以前から知っていたのだが、うちの家内も絵描きなのでアトリエを見せてもらって感動してたな。
焼き物や鋳物の話をしたり、店の後ろにある手作りのイングリッシュガーデンも見せてもらった。(パリにも住んでいたとか)
「オレ、空間をつくるのが得意なんだよ」
と、ジョーさんは言う。
たしかに店にしてもハイセンスで、その骨董屋の改修からDIYをすべて一人でやったという。もう70近いのにめちゃくちゃ元気で若い。そして女好きの喧嘩好き(その話はまた今度)笑
「2人は何やってんの?ここ空き店舗多いし、破格でテナント貸し出ししてるから店やれば?」
と、軽く言われた(笑)
「純利益で50〜100ぐらいならいけるんじゃない?ちょっと検討してみてよ」
「やるなら空間づくりはオレがプロデュースするし、飲食やるなら江戸時代のお皿とか全部貸すから」
「はい、検討します」と、その場をあとにする。
なんとなくその日はアドレナリンが出てしまい、どうにも抑えられないので、夜はジョーさんのBARにスコッチをやりにいった。
またそこで何杯かカウンターで引っ掛けて、帰り際に「じゃあ、お店やろっか」と念を押された(笑)
こういう出会いを奇縁と呼ぶのかわからないが、人生ではどうしても縁の切れない人もいる。
逆に何をしても疎遠で縁の切れる人間もいる。
その証拠に、偶然の重なった偶発的なタイミングで何度かジョーさんとは再開するわけで…
自分の人生ではこういう出会いが意外と多く、この現象に名前を付けるのなら、何にしたらいいのか?という悩みがいまだにある。
何の話だっけ、あ、奇縁についてか。
こういう生き方をしていると不思議な人と出会うことが多い。そしてそれは大抵、一杯のウイスキーだったり、あるいは老舗の焙煎屋で珈琲を飲んでるときにそれは起きる。
まぁ自分の趣味がそれだから、そういう場所に足を運べば必然的に似たような周波数の人と出会うのだろう。
それをものにできるか。
これについては、自分の器や技量が伴っていないと難しいだろう。
ただ、人生においてはいつも何かや誰かとの偶然を期待しているし、計画を立てず、計画外のところでこのようなことが起きる。
これがなぜか?
理由は説明できない。
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