こんにちは、武蔵です。
よく、世の中のキレイゴトに
「夢を持て!」
「目的を持て!」
「目標を立てろ!」
みたいに、
「〇〇しなくちゃいけない」
といった、
強迫観念に駆られた
価値観を押し付けてくる
人たちがいるけど、
これって老害でしかなくて、
いまの時代にマッチしてないんだよ。
これだけ多様性、多様性と言われる
時代において何かを1つに絞り込むことって
そんなに必要なことだろうか?
ぼくはそれらをリスクにしか
感じないんだよね。
何かを決めたり絞り込んだ瞬間に
人間の可能性を狭めるんじゃないかなって。
もちろん、
例外として人生のある時期、
一点突破するために選択と集中は
大切なことだと思ってる。
そのための目標や目的は必要不可欠だ。
でも、それ以外のときの過ごし方って
いつも言うように「なんとなく」で
いいんじゃないかな?
何かを決めたり、集めたり、
そのような「行為」をするときって
それが何の役に立つのかよくわからないけど
なんかある気がする。
といった、
ある種のグレーゾーンに近い直感で
決めるのが自然なんじゃないかなって。
フランスの人類学者レヴィ・ストロースが
いうところのブリコラージュなんかはまさに
これと同じ思想なんだよね。
ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。「器用仕事」とも訳される。元来はフランス語で、「繕う」「ごまかす」を意味するフランス語の動詞 "bricoler" に由来する。
まぁ、かんたんにいうとブリコラージュは
日曜大工やDIYをフランス語にしたものだ。
詳しくはレヴィ・ストロースの名著、
『悲しき熱帯』や『野生の思考』を
読んでもらうとして、
で、このグレーゾーンの直感でいくと
「あとで役に立つかもしれない」ってのは、
「いまはなんとなく」でいいってこと。
こんなことを言うと
世の中的には、
「いい加減なヤツだな!」とか
「テキトーな人間だな!」って
印象を与えるかもしれないんだけど、
ぼくはそれで良いと思ってる。
というより、この感覚こそが
野生でワイルドで自然なんだ。
ハンターが茂みの向こうに獲物の存在を
感じる取る感性に近いし、
たとえば、
ぼくは書店で本を買うときって、
専門書以外は「なんとなく」で選んで
買ってる。
知的な営みである読書ですら、
野生の勘は役立つんだよ。
で、
これこそ野生の思考でありブリコラージュ
なんじゃないかなって。
だから、人生は無目的でいいし、
夢や目標も特にいらないと思う。
過剰は不足よりも害という
言葉があるように、
いま幸せなのにこれ以上幸せを
追求するのも違和感しかないし。
人生から予定調和を排除すればするほど、
自分の空けておいた余白に面白い偶然が
転がり込んでるくる余地が高まるよね。
ぼくはいつも偶然を探してるし、
常に偶然の「ヒト、モノ、コト」に
出会いたいと思ってる。
なので、しっくりきた人は
人生から予定調和を排除しましょう。
ps'
そうそう、
昨日、見に行ってきた個展で、
木版画家・久保舎己さんの作品は
どれも抽象的で一切のムダを削ぎ落とした
シンプルな作品が多かった。
作品のモチーフとしては
「人間とは何だろう?」という
壮大なテーマを掲げているけど、
人間の闇や汚い部分、愚かさ、
それらを抽象的に表現することで
本質を捉えてるなぁと感銘を受けた。
生命の営みそのものはシンプルだが、
いつも複雑にしているのは人間であり、
六法全書なんかはまさにそれだ、
という話を聞いて、
なるほど!と、深く頷いた。
個展は今日までなので、ぜひ偶然を求めて
足を運んでみてください。
相方は舎己さんの作品を買って
大いに喜んでましたよ。
BGM♪ / FFDP / Under and Over It
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