言葉を使って信念を書き換えると、
行動も変わるよって左脳寄りかつ
論理的な話をしましたが、
今回は思いっきり右脳寄りな
話をしますね。
ブログだけでは伝えきれない
感覚があって、その感覚こそ
今回のテーマである「右脳」
寄りの話になるんですが、
非言語→言語化
しようと思えば無理矢理できるんですが、
目に見えない感覚もあらためて重要だなと。
たとえば、
非言語ってなによ?って言われれば、
次の3つがあてはまる。
非言語=体験
非言語=感覚
非言語=目に見えないもの
この3つの概念は
それぞれ違うんだけど、
体験のなかには感覚がふくまれるし、
感覚のなかには目に見えないものがあり、
目に見えないもののなかには感覚がある。
こうしてそれらを言語化することは
可能といえば可能なんだけど、
すべてを言い表せられてるか?
と言われればすべてではない。
要するに、
それが感覚であり、目に見えないもの
という概念で、体験に内包されるもの。
体験で得られるものは言語じゃなく、
体感した感覚がカラダや脳に刻まれること。
それは五感をつかった部分もそうだし、
そのときの感情も情動記憶として残る。
こういう体験を日常で繰り返していると
自分のなかにある感覚のセンサーの感度が
どんどん細かく精密なものになってくる。
これは直感の磨き方ともいえるし
勘が鋭くなってくるため、
なにかを始めるときに言葉より先に
それがうまいく、いかないという感覚が
降りてきやすくなる状態とも言える。
で、感覚のセンサーの感度が精密になり、
より良い状態になると細かいメモリを使って
非言語の言語化がうまくなってくる。
つまり、前回のブログでは
不安な気持ちを→言語化→体験
だったけど、
今回のブログでは、
体験→感覚→目に見えないもの→言語化
だから、体感と言語化のセットで
自分のなかに言語と感覚を
深くインストールすることができる。
それらを深くインストールすることで、
日常でも深みのある言葉や思考が
出せるようになり、自分の世界観を
表現したいように表現できるようになる。
まぁ、今風の言葉でいうなら教養か。
これが言葉のみだったらハッキリいって、
難しいし、感性が磨かれてないものだと
どうしても表現力に欠けてくる。
表現力がなんで必要なのかって、
それがアウトプットであり、アウトプットが
人生をつくってるからなんですよ。
言葉によって人間の脳は
支配されてるっていったけど、
今回話したような概念があたまに情報として
入っていれば、これから体験することが
無意識レベルで深いものにできると思う。
まぁ、少し脱線しましたが
話をまとめると、
非言語=体験
非言語=感覚
非言語=目に見えないもの
この3つの概念は知識や価値観ではなく、
人間の本質をまっさらな状態で見るのに
役立つ視点ですよっていう話です。
だって、
他人は知識や価値観だけじゃ測れない
本質があるし、その人の本質を見るには
知識や価値観なんてものはジャマであり、
色眼鏡は人生を曇らせるものでしかない。
なので、どれだけまっさらになれるか?
ってのが人とかかわるときでも人生でも
重要なので、感覚が大切な3つの理由を
まとめてみました。
天才は言葉を操れるけど、
バカは感覚で言葉を支配できる。
よって、バカは天才よりも天才。
こう思うと勉強や言葉について
コンプレックスのある人でも、
やるしかねーな!って気になりません?
BGM♪ / Van Halen / Live on TV - 2015 - 9 Songs!
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